今日も今日とて引き篭もる

目覚ましでいつもの時間に目を覚ましたあと、2時間ばかりまどろむ。
この起きてるか寝てるのか良く分からない状態で、布団の中にいるのが非常に気持ちよい。
…ダメ人間だなぁ、と実感する瞬間である(笑)


朝食後、箱根駅伝を流し見ながら、「ステーシー」を読破。
大槻ケンヂの作品の中でも妙に晴々と終結している気がする。
結末で着地してなくて、終わり行くもの悲しさを覚える感じであるのに、妙に晴々としているのはどういう事なんだろうか?
内容的には、結構救われない話であるし、実際結末も救われてはいない。
でも、この晴々とした気持ちは何なんだろうか?
一番近いのは、死期を間近に控えた老人の心境。
とでも言えばいいのだろうか?
終わり行く者があり、その先に続いていく者があり、その間にある救われない者たちがあり。


物語は、進化というのか、神々の気まぐれとでも言うのか、その間で起こる救われない話(恋物語と言っても良いのかな?)なんだけれども…
結末では、一気にそれらが移行するのだ。
そして、一応の収束は見せるのだけど、すべてが救われているのか?と言われれば、救われていないんだよな…
でも、このハッピーエンドな空気感が不思議な気分にさせてくれる。
さっきも書いたとおり、死期を間近に控えた老人(終わり行く者)の心境と言えば、確かにしっくり来る気がする。


何も救われてなどいない。
でも、自分たちは、もうすぐいなくなってしまう種であり、これから先は新たな種たちが作り上げてゆくだろう。
だから、消え行く者たちは、この変化の移行期の落とし子とも言うべきステーシーたちを愛玩動物として買い換えながら、残された時を生きて行く…
だいぶネタバレなんだけど…(汗)
過程を書いてない分、何がなんだか分かんないよなぁ…(爆)
文章って難しい…


この最後のハッピーエンド感が何なのか?
しつこいようだけど、「後のことは若いもんに任せて、自分たちはのんびりと(贖罪をしながら?)残りの人生を生きていこう」的な、死を前提とした、終わりを前提とした者の視点から世界を見つめているから、そう感じるのかもしれない。
ううむ…
言葉にするのは難しいなぁ…


読み終えたあとに昼食。
そういえば、朝に、また薬を飲み忘れたことに気付く(爆)
最近は、独りでいて、どうにかなりそうな精神状態になることも無いし…
ついつい忘れちゃうんだよあぁ…(汗)
良い傾向なのか、悪い傾向なのか?
わかんないけど…


昼食後にNET巡回。
だらだらとTVを眺める。
そんなことの繰り返し。
う〜ん
正月らしい過ごし方だ(笑)


4時くらいになって、食料の買出しに向かう。
思ってたより早く餅が底をついたので…(爆)
餅と今晩のおかずを買うつもりが、いろいろお菓子とか買い込んで思ってたよりも出費増。
ま、いいけど…(汗)


帰ってきてからも、ぼりぼりとお菓子を食べながら、NET巡回とTVをだらだら眺める事の繰り返し…
う〜ん
正月らしいすg…(以下略)


こうして一日が過ぎていく…
なーんか非生産的なんだよなぁ…(汗)
いーのかなぁ?コレで…